帰宅&

taek2005-06-30

 コンフェデ、ニュルンブルグ会場に行ってきました。パリ−ケルンは電車(IC:InterCity)で4時間。朝5時に着いたので、ケルンで1時間、2時間はボン散策。電車での移動中は、寝、日常会話の復習、それにも飽きたらバーでフランクフルトFCファン達と喋る。到着後、宿は駅近くも(安いから)路地に入ったレストラン併設宿。おばちゃん(フラウ)がこれまた素敵な人。ヘッセン訛りが入っている。1988年の年代ものの地球の歩き方を見せてもらった。80年代の歩き方なんて、初めてみた!東京からどなたかが送ってこられたらしく、またおばさんも大事に保管されているので、状態は非常によい。おばさんはしきりに「もう情報が古いから」と仰っていたけど、でもね観光についての情報はまったく古くないのよね。そういうものだ。

 チケットを譲ってくれた奈良出身の院生さんと座席にて、再会。ドイツブラジル戦、残念ながらカーン様のプレイは見られなかったけれども、バラックや新人さんたちのプレー、そして何より神がかったようなブラジルのカウンターのすばらしいプレーに魅了されました。写真を送ることを約束して、ドイツビールで乾杯。なにより、いい子やで〜。さらに繰り出される専門的な農業の話題は留学中の英の視点が入っていて新しくて、面白かった。彼が農業行政職に就けたら本当にいいなぁと思う。日本の農業行政に合うかはわからないけど、日本の問題は根深いと思うから。私の以前大学時代にチャレンジしようとして書き、未だに眠らせている懸賞論文のテーマについても議論して別の視点を得ることができた。

 翌日偶然、親切なニュルンブルグ大学の心理学の研究員と出会った。市内と歴史案内をしてもらったんだけど、ここはヨーロッパで流通の要にあって各地の原材料をもとにした手工業の発展した街。ドイツで十ほどしかない移動侯が支配していた歴史ある街。技術の蓄積の結果、戦争に必要な道具の加工地でもあったため、第二次大戦では町全体が焼け野原になった。いずれも歴史ある街であるのに、空爆を逃れた京都との違いは工業の発展の度合いにあったようだ。ユダヤをめぐる歴史も根深い地でもある。
ニュルンブルグ出身の画家・版画家ドゥーラーの生家にも行く。子供時代にみたウサギの作品が好きだったが、彼の人物画の描き方や筆致、デッサンの正確さに感嘆し、さらに好きになった。なお翌日フランクフルトの古書店で彼の絵の本を偶々目にし、非常に安価だったので購入。重いけど、本のためなら、運ぶくらいは全然苦にならない。
最後に「外国人の旅行者に親切にする運動」に私も日本にて参加することを約束して、車窓から、さよなら。

 ニュルンブルグからフランクフルトまではICで2時間。フランクフルトでは最初2日はユース、最終日のみ「部屋貸します」の掲示をみて電話を入れた。1週間位安価で滞在でき集中して作業できる場所を探していて、大学等で掲示などを以前から見ていたんだけど、図書館まで至便で、価格が一番安価で、敷・礼金や契約期間等の条件が一番私にとって望ましかったから、見学も兼ねて。警察も近く、治安もよさそうな上品な住宅街の一角。相手は仏語圏のコードジボワール出身で、私も結局最初に出てくるのは仏の単語で、楽さから仏語で会話。来独するたびにいくつかある部屋の一つを使わせてもらえるようで感謝。彼は劇について仏と英で学び、米(NY)から独(FRT)現在は劇作家として生計を立てている。主たる題材はアフリカ。いずれは母国で子供のための演劇学校を作りたいんだそう。そういう夢を語り、語るだけではなくて実現しようとする意志を強く持っている、そういうエネルギッシュな人間に私は、人としての好感をもつ傾向があるみたい。そしてそれは国籍等のハコにかかわらず。がんばってほしいなぁ。
 フランクフルトでは2日を過ごす。手があく夜9時以降、まだ明るいので、観光地とされている街中を散歩。ニュルンブルグでは遊んでしまった(コンフェ&観光)ので、ま、これもいいかなあ。

 残念なのは最終日に本屋に行けなかったこと。それほどまでに図書館での収穫が多かった。4週間取りおきができるので専門カウンターのフラウにお願いしておいた。7月第二週くらいに行けたらいいかなぁ。

 ヘビはいるのかな>まだ見ないなあ。白鳥ならドイツにいたけど、餌付けされていて、地上に上がってちょこちょこ歩いている姿は、ちょっと悲哀。

バトンリレー>もしかして結構、流行ってる?いろいろな場所で見かけるよん。

 コメントありがとう。コメントがあると元気そうだなぁと嬉しくなります。長く放っていてごめんなさい!(謝) 無事帰宅しました。今は帰宅報告までですが、学校から戻ってから返事しますね。いってきます!